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この地は、二千年前の弥生時代から多くの人々が住んでいた。この景勝の地に、聖徳太子は、十一面観世音菩薩を本尊とする伽藍を建立させた。この寺が即ち乙訓寺である。
桓武天皇は、延暦三年(784年)に長岡に遷都されたとき、京内七大寺の筆頭として乙訓寺を大増築された。この当時の境域は、南北百間以上もあり、建てられた講堂は九間に四間の大建築で難波京の大安殿と同じ規模のものであった。翌四年、藤原種継が春宮房の人々により暗殺されるや、天皇は皇太子早良親王を当寺に幽閉された。
嵯峨天皇は、弘仁二年(811年)十一月九日太政官符をもって弘法大師を別当にされた。大師の残されたご事跡も多く、八幡明神の霊告をうけて合体の像を造り、また毘沙門天像を刻んでは国家の豊楽を祈られ、あるいは境内に実る柑子を朝廷に献上され、また伝教大師と法論をかわされている。講堂や大師のご起居されたと考えられる単独僧坊跡が発掘調査され、出土がわら等により、平安期に隆盛を極めていたことがわかっている。
永禄年間(1558〜1569年)信長の兵火により一時衰微したが、元禄六年(1693年)五代将軍綱吉は、堂宇を再建して乙訓寺法度をつくり、寺領を寄せ徳川家の祈願寺とせらる。草創から一千三百有余年、時に盛衰はあったが祈願寺として今日に及んでいる。
四月下旬から五月上旬にかけて牡丹が花ひらき、これに前後して、つつじなども咲き陽春は花の寺と化する。
「※参照:乙訓寺縁起」 |
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| 住所 |
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京都府長岡京市今里3丁目14-7 |
| 宗派 |
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真言宗豊山派 |
| 御本尊 |
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十一面観世音菩薩 |
| 開基 |
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聖徳太子 |
| 創建 |
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推古天皇御代 |
| 拝観料 |
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300円 |
| 年中行事 |
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3月彼岸 |
お砂踏み |
4月末〜5月初 |
ぼたん祭り |
8月第3日曜 |
万燈会 |
12月31日 |
除夜の鐘 |
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