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| 慈尊院は、弘仁七年(八一六)、弘法大師が、高野山開創の時に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、表玄関として伽藍を草創し、高野山一山の庶務を司る政所を置き高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場所とされた。 大師の御母公が香川県善通寺より、我が子の開いている山を一目見たいとの一念からご高齢にもかかわらず当院へ参られ、ご本尊弥勒菩薩を篤く尊崇せられた。 承和二年二月五日に、御母公が入滅された時に大師は、母公が弥勒菩薩になられた霊夢より廟堂を建立して、自作の弥勒仏と御母公の霊を安置された。慈尊とは、弥勒菩薩の別名でこれより表向きに慈尊院とよばれるようになった。 天文九年(一五四〇)紀ノ川の氾濫により慈氏寺諸堂の大半は流れ残った堂塔を弥勒壇に縮小移転し、天文十年三月、落慶供養がされたが、高野山も政所の事務を山上に移し、宝蔵の什宝をすっかり山上に運びあげてしまった。 「※参照:女人高野別格本山 慈尊院」 |
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総計 |
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