| 熊野関連書籍 |
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熊野古道 (岩波新書) |
| ゆたかな自然に懐深く抱かれた聖地、熊野。「蟻の熊野詣」という言葉に象徴されるとおり、人々は何かに引きつけられるように苦しい巡礼の旅を続けた。中世の記録を読みながら、上皇の御幸や一般庶民の参詣のようす >>続き |
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熊野―万霊の山河(講談社) |
| 「死と再生の国」「信仰の聖地」「日本の原郷」「異界の地」…、さまざまな異称を持つ神秘の国・熊野。今、行ってみたい街道ナンバーワン・熊野古道を歩き、遠く古代、そして異界へと、思いを馳せる。 >>続き |
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熊野―異界への旅(平凡社) |
| 苦難の長旅を経て辿り着く深山幽谷の地は、熊野権現の霊験あらたかな神秘と癒しの浄土であった。身を清め魂を磨きつつ、いざ、熊野へ!
歴史ある社寺、熊野古道や原生林をビジュアルに紹介する。>>続き |
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| Hi-vision
浪漫紀行「熊野古道」 |
| DVDで発売される熊野古道映像!発売予定日2004/07/22 です。 Region 2 (日本国内向け)予約受付中!世界遺産登録間近、ぜひ一度ご覧あれ!! |
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人皇十九代允恭天皇己未八年九月、熊野権現(現本宮大社)を此の地に勧請し、田辺の宮と称し奉ったのが、起源(1577年前)で次いで白河法皇の御代、熊野三所権現を此の地に勧請し、三山御参詣に替える(凡880年前)次いで別当湛決(近衛院久安三年己)の時新に天照皇大神以下、十一神を勧請し新熊野権現と称し奉る。(凡830年前)
此のように当社は三度に亘り熊野三山(熊野本宮大社、那智大社、速玉大社)各社の御祭神を勧請し熊野権現の三山御参詣に替えると云う三山の別宮的存在で、熊野信仰の一翼を負い、熊野街道(大辺路・中辺路)の分岐点要衝地としての田辺に御神威高く鎮座され、歴代の上皇、法皇、公達の熊野参詣時は当社に参籠宿泊し、心願成就を祈願したのである。文明三年(1471)より杉若、浅野、安藤各領主の篤い庇護により明治維新におよび闘鶏神社と改称し現在に至っている。
明治6年村社、同14年県社、昭和46年7月、別表神社(旧官国幣社)に列格。同年11月20・21日、御創建1550年並別表神社昇格、奉祝大祭斉行。旧社名・田辺の宮、新熊野権現田辺の宮、新熊野鶏合大権現(元禄5年建立・石燈籠現存)田辺の宮に始まり御祭神勧請と故事により四度の社名変遷を経ている。闘鶏神社は、全国唯一の社名で起源は次の故事による。※源平盛衰記(抜粋)
「熊野別当堪僧は、頼朝には外戚姨聟(母方のおば)なり、年来平家安穏の祈祷をいたしけるが、国中悉く源氏に志を運び堪僧ひとり背きても後難あり・・・・如何あらんと進退思い煩う。所詮人力に及ぶべきにあらず、神明の冥鑑に任すべしとて、田辺の新宮にて臨時のお神楽を始む。神明巫女に託して曰く・・・・赤きは平家、白きは源氏とて、七番の鶏を合せけるに、赤鶏は白鶏を見て一番も番わず逃げにけり。この上は、神慮に任せ奉らんとて、熊野三山吉野十津川、死生不知の兵共を語らい集め・・・・兵船二百余隻を調へ紀伊国田辺の湊より漕渡り源氏に加わる、云々・・・・」
当時、社領二十八ヶ所十六ヶ国、二十四ヶ庄に及び、その勢力は源平両軍から助力を乞われるに充分であり、周知の壇の浦の戦(海戦)で熊野水軍の力により源氏は勝をおさめたのである。ここに新熊野鶏合大権現の呼称が生れ、明治維新の神仏分離令により闘鶏神社と改称された。
「※参照:闘鶏神社由緒略記」 |
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| 住所 |
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和歌山県田辺市湊655 |
| 主祭神 |
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伊邪那美命(本殿)
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| 御配神 |
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(上殿)天照皇大神
伊邪那岐大神
宇賀御魂命
(中殿)迩々杵尊
火々出見尊
天乃忍穂見命
鵜草葺不合命
(下殿)火産霊命
稚産霊命
弥都波能売命
埴山比売命
(西殿)速玉之男命
事解之男命
(八百万殿)手力男命
八百万神 |
| 摂社 |
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田辺初代藩主・安藤直次(藤厳神社) |
| 末社 |
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市杵島姫命(鶏姫弁財天)
手置帆負命(玉置神社)
戎大黒ニ神(十日戎神社) |
| 御鎮座 |
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允恭天皇8(423)年 |
| 拝観料 |
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無料 |
| 年中行事 |
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1月9日〜11日 |
十日戎祭 |
3月初午の日 |
初午祭 |
6月30日 |
大祓式 |
7月24・25日 |
例大祭 |
10月15日 |
弁天祭 |
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