|
|
|
| |
創建は第十代崇神天皇5年(西暦前92)で、同天皇の御宇天下饑疫にみまわれ百姓農事を怠った時、諸国に池溝を穿ち農事を勧められ、この時勅して金剛葛城の山麓に水神として奉祀せられた。延長5年(927)修撰の『延喜式−神名帳−』に「建水分神社」と記載の式内社である。
また延喜元年(901)撰上の『日本三代実録』には叙位累進の記録が見える。世々皇室の御崇敬極めて厚く、第九六代後醍醐天皇の御代に至り、建武元年(1334)楠木正成公に勅して、元は山下にあった社殿を現地山上に遷し、本殿、拝殿、鐘楼等を再営させられ、延元2年(1337)神階正一位の極位を授け給うた。
当社は霊峰金剛山の総鎮守で、古来より付近十八カ村の産土神であると共に、累代此地を本拠とした楠木氏の氏神でもある。正成公は勅を奉じ征賊の軍を起こすに当たり、祈念厚く「久方の天津朝廷の安かれと祈るは國の水分の神」と詠まれ、公の純忠のいかばかり神助を仰がれたかが推察される。
また織田信長は河内国攻略に際し、当社領を悉く没収し社頭は一時衰退したが、豊臣秀吉は再び田地を祈祷料として寄進し、深く崇敬するところとなり旧に復するを得た。尚、大鳥居の「正一位 水分大明神」の額は、後醍醐天皇辰筆と伝えられる木額(宝物)の表面が摩滅した為、宝永2年(1705)前大納言葉室頼孝卿がその聖筆をなぞり、金銅製にて模造したものである。明治六年付近十八ヵ村の総鎮守産土神の故を以て郷社に列し、明治40年神饌幣帛料供進社に指定せられ、氏子区域内十七の神社を合祀し、大正2年府社に昇格した。
「※参照:建水分神社御略記」 |
|
| |
|
| |
| 住所 |
 |
大阪府南河内郡千早赤阪村水分357 |
| 御祭神 |
 |
天御中主神 |
| 御配神 |
 |
天水分神
罔象女神
国水分神
瀬織津媛神 |
| 境内社 |
 |
楠正成(南木神社) |
| 御鎮座 |
 |
崇神天皇5年 |
| 拝観料 |
 |
無料 |
| 年中行事 |
 |
| |
|
|