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都祁水分神社は都祁村友田にあります。広大な森、長い参道、古来よりの水の神として崇敬されています。祭神は、速秋津彦命、天水分神、国水分神の三柱の神で、古く本地垂迹説によると阿弥陀三尊と呼ばれております。当社の歴史については古来大和国の水分四社の一つで、飛鳥時代に創祀されたと伝えています。最初の鎮座地は、当社より三キロ南方の小山戸カモエ谷の都祁山口神社の地であります。
この地に祀られた自然神で、また、農耕神として、大和川、木津川の水源の神として、奈良朝時代「神戸」を寄らせられ平安時代仁寿二年官社に列せられ、貞観元年には「正五位下」に進められました。延喜式には大社に列し、月次、新嘗の官幣にあずかっています。平安時代の中頃当地区に興福寺喜多院二階堂の荘園が成立しました。藺生、小山戸、友田、南殿、白石、無山、向淵の七庄で開拓が進むとともに水分神社は信仰を集め、荘園の中央友田へ遷し祀られることになりました。天禄三年九月二十五日のことです。
この社地は奈良朝時代聖武天皇の行幸された堀越頓宮の伝承地であり、平安時代に伊勢斎宮の皇女が宿られた都介頓宮の跡でもあります。鎌倉時代の初め、喜多院二階堂領は同じ興福寺の大乗院領となり、水分神社も大乗院家の指示で当地方に成長した武士が氏人となり、護持されました。これらのことは応永三十一年に作られた当社縁起に詳記されています。室町中期の明応八年七ヶ庄の反米によって造営されたのが現本殿であります。
江戸時代には七庄の氏神として地方的な信仰を得、殊に藤堂藩大庄屋、小山戸の北氏は当社の護持に一段と力をつくしています。明治維新の後、当社は郷社となり、後県社に列せられました。当社の祭礼は古くより春日「おん祭」を模倣して盛大に行われ、神輿は九月二十五日、小山戸山口神社に渡御せられ、翌二十六日遷御され、田楽、佃男、流鏑馬があり能狂言も催されていました。
本殿(重要文化財)
一間社春日造桧皮葺で梁行二・六米、桁行三米の大きく雄健な建物であります。向拝の斗木共は連三斗、蟇股には牡丹の丸彫が入っています。絵巻物、板絵にある金銅装神輿は、床板裏に「康正三年丑丁九月二十五日造立之」等の墨書銘があって、室町前期の建造であることが知られる貴重な遺品であり、宝物殿に収蔵されています。
本殿前左右に安置されている一対の石造狛犬は、安山岩製で高さ0・七米、どっしりとして肉取りに抑揚があり、顔の表現もすぐれ頭髪や胸毛も豊かで、尾の意匠はそれぞれ変化があります。鎌倉末期の作と認められている優秀なものであります。以上、水分神社の大畧であります。長い歴史の荒波にたえて、水分神社が護持されたことは、農耕神として霊験著しい御神徳と一般のあつい信仰によるものであります。
「※参照:式内大社 都祁水分神社略記」 |
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| 住所 |
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奈良県山辺郡都祁村友田 |
| 主祭神 |
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速秋津彦命 |
| 御配神 |
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天水分神
国水分神 |
| 御鎮座 |
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孝昭天皇御代 |
| 拝観料 |
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無料 |
| 年中行事 |
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1月1日 |
歳旦祭 |
1月3日 |
初祈祷 |
2月3日 |
節分祭 |
2月26日 |
祈念祭 |
4月10日 |
末社琴平祭 |
6月30日 |
大祓祭 |
7月9日 |
夏祭 |
8月25日 |
風鎮祭 |
8月31日 |
つもごりごもり |
9月15日 |
敬老祭 |
10月26日 |
大祭 |
11月15日 |
七五三祭 |
11月26日 |
新嘗祭 |
12月31日 |
大祓式・除夜祭 |
毎月1日・16日 |
月例祭 |
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