丹生川上神社上社
丹生川上神社中社
丹生川上神社下社
吉野水分神社
葛木水分神社
宇太水分神社上社
宇太水分神社中社
宇太水分神社下社
都祁水分神社
建水分神社
美具久留御魂神社
龍穴神社
 
当神社の創祀は太古まで遡ることができ、第十代崇神天皇七年二月の勅祭と伝えられている。また、大和朝廷の勢力範囲の東西南北に祀られた水分の神の東に当たるのが、当社である。平安時代以降も朝廷の崇敬篤く、『新抄格勅符抄』によると、平城天皇の大同元年(806)の牒に神封一戸が奉られており、承和七年(840)、貞観元年(859)それぞれ神位を進められた。貞観元年九月八日には、奉幣使を派遣して風雨を祈られている。

醍醐天皇の延喜の制で大和四水分社は大社に列せられ、祈年祭・新嘗祭・月次祭の案上官幣に預かり、祈年祭には座別に三尺木綿二両以下を、また特に馬疋が献上された。そして醍醐天皇の御代に編纂された『延喜式』には以下のような記載が見られる。臨時祭式には、祈雨神祭八十五座の一座に列せられ、座別絹五尺、五色薄各一尺、絲一、綿一屯、木綿二両、麻五両、白馬等が献上されたと明記されている。祝詞式には、祈年祭の祝詞として、水分坐皇神等能前爾白久。吉野、宇陀、都祁、葛木登御名者白云々。神名式には、宇陀郡十七座 大一座 小十六座の中の大社。

中世に入ると朝廷から賜った物の記録には殆ど見られなくなるが、南北朝時代の正平六年(1351)五月、後村上天皇は唐招提寺より三輪を経て宇太水分宮に移られ、さらに吉野に遷幸されたと興福寺金蔵院實嚴の日記『細々要記』にある。

また、後村上天皇皇孫尭成親王が応永十八年(1411)当社に梵鐘を寄進されている。今その鐘の所在は不明であるが『菟田野町史』(昭和四十三年出版)金石文の項によれば、寛永九年(1632)大宇陀町岩室の徳源寺に売却されたことが知られる。なお、鐘銘の拓本は同町の森野家が保存している。

その後、近代になると大正十一年(1922)五月十九日に、伏見宮文秀女王が御榊を奉られ、黒松を植樹された。また昭和天皇の御代には、高松宮殿下が昭和三十年(1955)五月12日に参拝され玉串料を奉られ、銀杏を植樹されている。現存する本殿は鎌倉時代末期の元応二年(1320)二月に造営された。また、年代は詳らかではないが室町時代には、境内社の春日神社・宗像神社の社殿の建造が行われている。

以後の社殿等に関する事柄で分かっているものを列挙すると以下のようになる。

永禄元年(1558)四月 郡司により
延宝二年(1674)八月 奉行織田伊豆守家老により
正徳四年(1714)正月
宝暦十二年(1762)六月
安永四年(1775)十二月
文政二年(1819)
文政五年(1822)九月  以上の各年代に修理
明治四十四年(1911)四月十七日 内務省告知を以て特別保護建造物指定
大正十年(1921)二月より十月にかけて修理
昭和二十九年(1952)三月二十日 文化財保護法により改めて国宝に指定
昭和三十五年(1960)造替
昭和四十八年(1973)造替(前年の台風による被害により急遽行う)
昭和五十九年(1984)一の鳥居再建

「※参照:うつくしい水のまもり神 宇太水分神社略記」

 
 
住所
奈良県宇陀郡菟田野町大字古市場
御祭神
天水分神
速秋津彦命
国水分神
御鎮座
崇神天皇7年
拝観料
無料
年中行事
 
1月1日
歳旦祭
2月7日
末社恵比須神社例祭・おんだ祭
4月10日
末社金刀比羅神社・春季例祭
4月21日
奉讃講々員平安祈願祭
6月30日
夏越大祓式
7月21日
摂社春日神社例祭
8月16日
大盆踊り
9月10日
末社金刀比羅神社・秋季例祭
10月第三土曜日
例大祭
11月23日
新嘗祭
11月下旬(亥の日)
摂社宗像神社例祭
12月31日
大祓式
毎月1日
月次祭
2月を除く各月7日
恵比須神社月次祭