| 仁徳天皇の御代(約千六百六十年前)修禅の妙を得た裸形上人が、当那智山を神仙の霊場と定め、飛瀑に苦行しつつあった時、滝壺の中に御丈八寸の黄金仏あるを感得し、ここに庵室を結んで安置したのが、今現に本堂のある地であった。
かくて後、二百八十年を経た推古天皇の御代、生仏上人と申すのがこの地に遊行して尊像を出現の霊夢を感じ、玉椿の霊木をもって御丈一丈の尊像を彫み、滝壺出現の霊像を御胸仏として納め、このことを天聴に達すると、叡感あって本堂創建の勅諚となり、裸形上人を開基とし、生仏上人を中興開山と崇めての霊場が成立した。
歴朝の御帰依厚く、天皇であらせられた上皇・法皇の熊野御幸は、宇多上皇の十二度、鳥羽上皇の二十三度、崇徳上皇の一度、後白川上皇の三十三度、後鳥羽上皇の二十八度、後嵯峨天皇の二度、亀山上皇の一度であり花山法皇の御用度であった茶碗、茶壺など、現存している。
又推古時代作の青銅観音像の発掘仏等が宝物として著名である。
「※参照:西國巡禮案内記」 |