| 観音霊場関連書籍 |
|
街道を歩く 西国三十三所
(創元社) |
| 江戸時代に盛んになった西国観音巡礼。巡礼絵地図や案内記をもとに、当時の人々の歩いた、全行程約1000キロを踏破。知り尽くした道のすべてをつぶさに紹介する。徒歩巡礼ならではの発見や喜びにあふれた書。 >>続き |
| |
|
西国三十三所巡礼
こころと水彩画の旅
(東方出版) |
| 南紀那智の青岸渡寺にはじまり、美濃国谷汲山華厳寺を最終とする西国三十三所巡礼。三十三霊場を巡ってスケッチした四季おりおりの札所の風景を収録する。
>>続き |
| |
|
|
|
|
|
|
|
|
| |
| 白い経帷子をまとい、長い杖をつき、ご詠歌を唱えながら三十三ヶ所の観音菩薩の霊場に詣で納経印を受ける西国三十三ヶ所霊場巡礼の風習は、養老二年(西暦718年)に徳道上人によって始められました。この巡拝の人びとの群れは、いろいろな不安に満ちみちている現代、一千年の歳月がたったにもかかわらず、少なくなるどころかますます多くなろうとしています。
徳道上人は斉明天皇の御宇二年(西暦656年)播磨の国矢田郡で、誕生なさいました。その容貌は気品に満ち、眼は真澄鏡のように美しく清らかで、髪の毛は梳れば滴るように黒く艶やかに光り、深くたたえられた優雅さと聡明さに里人は目を見張ったそうです。成長されるにしたがって読書を好み、手に筆を持つことを無上の楽しみとし、神童との噂の中で連日精進をお重ねになりました。しかし、突然起こった不幸は上人の父を奪い、そして数年の後には母も不帰の客となったのです。
仏の道を極めることこそ人間に生まれた最高の道であり、亡き父母の菩提を弔うことがいまの自分にとっては、真実の報恩であろうと大悟徹底された上人は、当時わが国随一の大名僧であった大和長谷寺の道明大徳とのあいだに師弟のちぎりをお結びになりました。約十年間の修行の後、智道兼備の名僧となられた上人は、大和の長谷寺、鎌倉の長谷寺をはじめ諸国に四十九ヶ所の寺院を建立されました。その中でも大和の長谷寺では本尊大観音を御造立されました。
前記の養老二年の春、突然の病いのために仮死状態にあった上人は、夢の中で閻魔大王にお会いになり、悩める人びとを救う為に三十三ヶ所の観音菩薩の霊場をひろめるよう委嘱され、そして三十三の宝印を与えられて仮死状態から解放されました。上人は三十三ヶ所の霊場を設けましたが、人びとは上人を信用しなかったので、やむなく宝印を摂津中山寺にお埋めになったと伝えられています。
270年後の永延二年(西暦988年)に、花山法皇がこの宝印をお堀り出しになり、今日の三十三ヶ所を復興なさいました。当法起院は上人が晩年隠棲されたところで、本尊は上人ご自作と伝えられる上人尊像を、奉安しています。香煙でくすぶった茶褐色のお顔に、上人のお姿をご想像ください。
本堂の左側には上人御廟十三重石塔があり、上人が晩年当院の松の木の上から、法起菩薩と化し去ったといわれ、当院の名前もそこからつけられました。上人が松の木にお登りになったときの、上人沓脱ぎの石と称するものも残っています。この石に触れると願い事が叶うと伝えられています。
「※参照:法起院 巡礼のふる里」
|
|
| |
|
| |
| 住所 |
 |
奈良県桜井市初瀬776 |
| 宗派 |
 |
真言宗豊山派 |
| 御本尊 |
 |
徳道上人像 |
| 開基 |
 |
|
徳道上人 |
| 創建 |
 |
天平7(726)年 |
| 御詠歌 |
 |
極楽は よそにはあらじ 我が心 おなじ蓮の へだてやはある |
| 拝観料 |
 |
無料 |
| 年中行事 |
 |
| |
1月1日 |
元旦法要 |
1月2日 |
徳道上人廻向 |
1月1日〜7日 |
仁王会 |
2月3日(4日) |
節分会 |
3月2日 |
徳道上人命日廻向 |
3月18日〜24日 |
彼岸会 |
4月8日 |
釈尊降誕会 |
6月15日 |
弘法大師降誕会 |
8月13日〜15日 |
孟蘭盆会 |
8月24日 |
地蔵会 |
9月18日 |
徳道上人誕生会 |
9月20日〜26日 |
彼岸会 |
11月3日 |
三界万霊慰霊法要 |
12月31日 |
除夜法要 |
|
|