| 修験道関連書籍 |
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図説 役行者
修験道と役行者絵巻
(河出書房新社) |
| 名刹に遺された秘宝を紹介しつつ、日本古代史の謎の超人・役行者の全貌と日本人の信仰の原点を明らかにする。国内外の美麗な「役行者絵巻」4本もカラーで紹介。 >>続き |
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役行者霊蹟札所巡礼
(朱鷺書房) |
1300年の昔に活躍した役行者は、修験道の開祖と崇められる。近畿各県にある役行者ゆかりの36寺が集まり巡拝霊場が結成された。その巡礼ガイド。縁起、地図・道順などを詳説。
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修験道―その歴史と修行
(講談社) |
山岳を神霊、祖霊のすまう霊地として崇め、シャーマニズム、道教、密教などの影響のもとに成立した我が国古来の修験道―。筆者自らが現場に立ち合って調査した、臨場感あふれる興味深い論考。開祖役行者が修行したとされる吉野を中心として、修験宗各派の教義と活動の場を詳細に比較研究し、「行」の重要な役割を浮き彫りにする。
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聖護院門跡の宗派は本山修験宗(山伏)であり、寛治4年(1090)に増誉大僧正(1032〜1116)の開基になります。修験道は今からおよそ千三百年前、役行者神変大菩薩(634〜701)がお開きになった宗旨ですが、増誉大僧正はその法灯を継がれ、寛治4年に白河上皇が熊野本宮に御参詣の際、御先達として案内し、その功により上皇よりこの地に一寺を頂き聖護院(聖を護った寺)とされました。又増誉大僧正は上皇より熊野三山検校職に補されると共に、全国の修験者の統轄を命ぜられました。
後白河天皇の皇子静惠法親王が宮門跡として第4代に入寺されて以来、皇室よりの入寺が相次ぎ、明治維新まで聖護院宮として存続しました。聖護院は初め今の場所にありましたが、応仁の乱(1467〜1477)で焼けて以後、三度の火災に見舞われ、転々とし、現在の寺観は延宝4年(1676)後水尾天皇の皇子、道寛法親王の時に再建復帰したものです。天明8年(1788)と安政元年(1854)の御所炎上の時、光格天皇、孝明天皇の仮皇居となり、この由緒で昭和11年に「聖護院旧仮皇居」として史蹟に指定されました。
役行者の開かれた修験道は、日本古来の山岳信仰、自然崇拝に源を発し、民俗信仰と仏教・道教などの思想が融合して成立したところの出家・在家を問わない菩薩道修行実践の宗派であり、最も日本的な庶民宗教と云えます。修験とは実修得験の意味で、修行の体験によって人格を高め徳を験わすことを云い、理論よりも実践が中心になっています。即ちこの現実の人生に極楽浄土を築いて行こうとするもので、その為にはまず健全な心身を養わなければなりません。そこで私たちは山に登って自然の声を経典として仏心を探り身体を練り、日常生活の中に菩薩道を実践できるように努力するのです。
本院の歴史で特筆することは、30代盈仁法親王が宗祖の一千百年御遠忌をつとめられるに際し、光格天皇から宗祖役行者に「神変大菩薩」の諡号(おくり名)を贈られたことです。全文御宸筆の勅書であり重要文化財に指定されています。本院の総面積は約5000坪(16000平方メートル)であり、中心となるものは宸殿・本堂・庫裡・書院(御所より移築・重文)・小書院・北殿等です。中でも仮皇居当時の御座所、一夜造りの学問所、愛用の御茶室等は由緒は深いものです。宝物には重要文化財九点のほか、数百点に上る宝物(襖絵、屏風、軸物、修験諸法具)が保存されています。
「※参照:聖護院門跡参詣のしおり」 |
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| 住所 |
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京都府京都市左京区聖護院中町15 |
| 宗派 |
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本山修験宗 総本山 |
| 御本尊 |
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不動明王 |
| 開基 |
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増誉大僧正 |
| 創建 |
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寛治4(1090)年 |
| 拝観料 |
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600円(拝観要予約) |
| 年中行事 |
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1月8日〜15日 |
寒行 |
2月節分 |
節分会・採燈大護摩供 |
4月初め |
葛城修行 |
6月7日 |
高祖大士報恩大会・採燈大護摩供 |
8月又は9月初め |
大峯修行 |
11月29日 |
智證大師講法要 |
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