| 聖徳太子関連書籍 |
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聖徳太子の実像と幻像
(大和書房) |
| 「聖徳太子非実在論」をめぐる考察や、聖徳太子と日本書紀の関係、現在に残る資料から推察する聖徳太子の実像など、謎に満ちた人物「聖徳太子」を徹底解明する。 >>続き |
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聖徳太子の寺を歩く(JTB) |
| 聖徳太子が創建に関わっている寺や、太子伝承が残る寺院を紹介。貴重な仏像、美術品の写真も多数掲載。『四天王寺誌』97年1月〜2001年7月連載の「太子の寺」を加筆訂正して上梓。掲載データは2001年8月末現在。 >>続き |
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聖徳太子の真実(平凡社) |
「聖徳太子は実在しなかった」と主張して大きな反響を呼んだ編者を中心に、歴史学、国語学、宗教学などの気鋭の研究者が関連史料を総点検。太子像の真実とその信仰の謎を解く。
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石上神宮は大和盆地の中央東寄り、龍王山の西の麓、布留山(標高二六六メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には龍王山より発した布留川が流れ、周辺は県下有数の古墳密集地帯として知られています。
当神宮は、日本最古の神社で武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。御祭神は、神武天皇御東征の砌、国土平定に偉功をたてられた天剣(平国之剣)とその霊威を布都御魂大神、鎮魂の主体である天璽十種瑞宝の起死回生の霊力を布留御魂大神、素盞鳴尊が八岐大蛇を退治された天十握剣の威霊を布都斯魂大神と称え、総称して石上大神と仰ぎ、第十代崇神天皇七年に現地石上布留の高庭に祀られました。
古典には「石上神宮」「石上振神宮」「石上坐布都御魂神社」と記され、この他「石上社」「布留社」等とも呼ばれていました。中世に入ると興福寺の荘園拡大、守護権力の強大化により、布都川を挟み南北二郷からなる布留郷を中心とした氏人は、同寺とたびたび抗争しました。
戦国期に至り、織田尾張勢の乱入により社頭は破却され、壱千石と称した神領も没収され衰微していきました。しかし、氏人たちの力強い信仰に支えられて明治を迎え、神祇の国家管理が行われるにともない、明治四年官幣大社に列し、同十六年には神宮号復称が許されました。
当神宮にはかつて本殿がなく、拝殿後方の禁足地を御本地と称し、その中央に主祭神が埋斎され諸神は拝殿に配祀されていました。明治七年菅政友大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正二年御本殿が造営されました。禁足地は現在も布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれ、昔の佇まいを残しています。
「※参照:石上神宮しおり」 |
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| 住所 |
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奈良県天理市布留町384 |
| 主祭神 |
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布都御魂大神
布留御魂大神
布都斯魂大神 |
| 御配神 |
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五十瓊敷命
宇摩志麻治命
白河天皇
市川臣命 |
| 摂社 |
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(出雲建雄神社)出雲建雄神
(天神社)高皇産霊神
神皇産霊神
(七座社)生産霊神
足産霊神
魂留産霊神
大宮能売神
御膳都神
辞代主神
大直日神 |
| 末社 |
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猿田彦神社
神田神社
祓戸神社
恵比須神社 |
| 御鎮座 |
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崇神天皇7年 |
| 拝観料 |
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無料 |
| 年中行事 |
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1月1日 |
歳旦祭 |
1月15日 |
古神符焼納祭 |
節分前夜 |
玉の緒祭 |
節分当日 |
節分祭 |
2月11日 |
紀元祭 |
2月19日 |
祈年祭 |
4月第一日曜 |
献燈講講社大祭 |
4月15日 |
春季大祭 |
5月3日 |
長寿講社春季大祭 |
6月30日 |
神剣渡御祭(でんでん祭) |
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大祓式 |
9月第一日曜 |
崇敬会大祭 |
10月1日 |
榜示浚神事 |
| 10月15日 |
例祭(ふるまつり) |
11月3日 |
長寿講社秋季大祭 |
11月22日 |
鎮魂祭 |
11月23日 |
新嘗祭 |
12月8日 |
お火焚祭 |
12月23日 |
天長祭 |
12月31日 |
神庫祭・大祓式・除夜祭 |
毎月1日・15日 |
月次祭 |
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