西国三十三所第四番札所槇尾山施福寺は、国道170号線から228号線をたどって、山門前駐車場に車を駐車し、約30分ばかりの登山をすることになる。まさに天台密教寺院たるべき山岳寺院だ。 駐車場を後にすると、満願滝弁財天社がある。この神社は空海が唐から帰国後、修行のために滝行を行った場所だということ。弁財天は空海が来る前から祀られていたらしく、空海が行を満願したことを感謝し高野山にも同じく祀ったとも言われている。ここでは4月の第2日曜に大護摩供養をしていたそうだが、前住職がお亡くなりになれてから先、行われていないのだとか。しかし、ぜんざい等のお接待は続けられており、当日は信者さんや、登山者、参拝者の人々で盛り上がっているようだ。
  
満願滝弁財天の鳥居前。すぐとなりにはお土産屋さんがある。ちなみにそこの飼い犬を写真に撮った直後、おもいっきり吠えられた(笑)土産屋さんも僕も苦笑いだった。 満願滝鳥居の横にある石碑。
「弘法大師満願の滝」とある。
空海が修行したという滝。かなりの高低差に驚いた。ここには弘法大師の他、役行者、愛染不動明王等が祀られている。

いざ施福寺参拝すべく石段を上っていく。少し登ると右手の岸壁に摩崖仏が見て取れる。もし、初参拝時にこの急な坂道ばかり気をとられていると少し残念な気分になる。仏像の上には真ん中に不動明王と見えるが両側の文字は残念ながらよくわからなかった。

この寺院の参道は、この最初のコンクリート舗装道と、最後の本堂に向かう石段が急勾配で、山門を超えてからの山道はさほど苦にならない。いきなりの急勾配で先が思いやられるかもしれないが、ここは我慢である。これほどの急勾配は上りよりも下りが怖い。自分の意志に反して足が勝手に歩き出してしまうからだ。足腰の弱いお年寄りには大変な苦労をともなうだろう。

舗装道の終わりが山門前だ。 仁王門とも言うが、ここでは山門がいいと思う。この山門の前、左手に見えるのが迎え観音だ。これから参拝する僕達をわざわざここまで迎えにいてくれたのか?隣の看板には「よくお参りになりました。」とある。ここで先ほどの急勾配に一息つくのもいいかもしれない。



そしてもうひとつあるのが、秘伝木だ。この秘伝木というのは、「天平五年(732)に此の秘伝木を建立して国家も天皇と庶民の為に七難即滅七福即生を祈願し又庶民病難火難水難剣難盗難起難受難の消滅を祈願してこの秘伝木を建立して以来平成の今日まで途絶えることなく秘文と書体と字数を違えることなく毎年1月8日に建替て念願しています。(説明文より抜粋)」と、いうものらしく、当寺も南北朝の動乱や織田信長の焼き討ちにあい、相当な打撃をうけたらしい。そういう意味でも、貴族庶民を問わず、国家の平和安寧を祈願しているのだろう。秘文、書体とさすがに何が書かれているのか意味不明だったが、写真で確認できる範囲で載せてみた。梵字の意味がわかる人にはわかるのだろうか?漢字の部分の意味はわかるのだが・・・。

さて、山門を越えて、これからは本当の山道になる。このあたりはまだ広くなだらか。奥に見える景色で多少の脱力感を覚える人もいるだろうが、ここまでくればあと半分くらいの意気込みを持ってほしい。舗装道の急な勾配にくらべれば、この山道はへっちゃらだ。

降りてくる人たちと気軽に挨拶が出来るのが登山の心安らぐ瞬間でもあるが、普段の生活ではありえないものに塞ぎがちな若者登山者は多少戸惑ったみたいだ。ゆっくりゆっくりと焦らず、出来るだけうつむかず上を見て景色を楽しみながら登った。桜はまだ咲いていないし、紅葉の時期でもないけども、山の緑だけでも十分に楽しめる。そういったシーズンを狙って登るのもいいかもしれないが、逆に静寂な自然の息吹のようなものを感じれず、ただ普段の生活の延長線上を歩いているだけの感じがしてイヤになってしまう。やはり自然に接するには人口密度を考えなくてはならない。僕はそういった桜や紅葉は山の「おまけ」として考える。登ったときにあればよかったと思うだけだ。


ここでひとつ面白い神様を見つけた。右手の川の山肌にある。その名も「値上大明神」株式相場や商売繁盛の神様だそうだ。これにはさすがに笑い声が出てしまった。こんな神様もいたのかと・・・。しかしやはり商売繁盛や株式相場の値上がりがいかに難しいというのがこの神様の位置にあらわされている。川を渡って、賽銭を置こうとすれば相当な勇気がためされる。 やはり現実はそう簡単ではないんだろう。ちなみにその神様の上に木がある。その木の根っこが持ち上げられたようにあがっているのだ。もしかするとこの木がご神木なのかもしれない。そう思うと根上がり大明神がいつしか値上がりと語呂を合わせて商売繁盛や株式相場の神様になったのかもしれない。こういったシャレ的神様はけっこうよく見かけるので、あながち間違いではないのかもしれない。

大明神を過ぎると少し道幅が狭まってくる。
すると少し勾配も急になる。そこに突然井戸があらわれる。


「弘法大師姿見の井戸」だ。その名のとおり、弘法大師がこの井戸の水に自分の姿を映したのだろう。四国遍路のあるお寺にも姿見の井戸がある。高野山にも姿見の井戸があり、そこに自分の姿が映らなければ3年以内に死ぬという伝説がある。かなり怖い伝説だが、やはりやってみたくなる。僕は大丈夫だったが・・・。




さて、そうこうしている内に眼前には山景色以外に建物が点々と見えてくるようになる。大日堂がそのひとつだ。このお堂は萱葺のいかにもといった建物だ。屋根に生える苔がなんとも時代を思わせていい感じがする。この大日堂までくるとあともうすぐといった感じだ。ここから勾配が急になり、階段状に山道が変化してくるが、ちゃんと手すりも設置されており、それほど苦にするほどでもないと思う。ここまで来ると登る人たちは降りてくる人たちに言う言葉は決まっている。「あとどのくらい?まだあんの?」これだけ。降りる人はもう登ってきたので気分は楽だし、下りになれば上りを忘れる。軽く言う「あと10分くらいやで〜。」という言葉に上り人たちはやっと楽になれると気を緩める。しかしこの急勾配の10分は相当苦しいのだ。


上りを「10分」続けると、もう本堂はすぐ。ちらほら木陰から伺えるようになる。しかし、それと同時に最後の恐ろしいほどの急な階段が待っていることも確認する。その最後の階段の前に建っているのが、愛染堂だ。堂の前には弘法大師の像がある。弘法大師空海はここ施福寺で剃髪し、私度僧となった。時の南都の長老勤繰によるものである。この愛染堂は空海が剃髪した場所に建てられているのである。本堂につづく最後の階段を上っていくと途中、真ん中あたりに「弘法大師御髪堂」というものがある。空海が剃髪した時の髪を祀っているのだろう。


最後の一段を上りきったあとの達成感はなんともいえない。「やっと着いた・・・。」これが本心だ。さて参拝をすませて写真でも撮ろうかと思った矢先、ふと右側の看板が目に付いた。「この先1丁 虚空堂」虚空堂・・・。これは行かなければいけないのではないか?と頭をよぎった。空海は四国でもそうだが、ここでも虚空蔵求聞持法を修していたのだ。僕はさっそく本堂を背にして山道を再び歩き出した。

さっきとはうってかわって「自然の道」だ。視界はうっそうとした杉林で、日の光もまばらな本当の「山」といった感じだ。道もコンクリートなどの舗装もない。自然の山肌むき出しの道だ。足元に気をつけながら下っていく。するとすぐに見つけることができた。灯篭がたち、石標がある。「弘法大師求聞持所 女人きんせい」とある。これより先は女人禁制なのだ。これには驚いた。この石標が未だにあるということは間違いなく今も「女人禁制」のはずだ。(そんな訳ない・・・と思いたい)

幸い男なのを喜んだが、上を向いて絶句した。本堂前の整備された階段なんて比べ物にならないくらいの急勾配の石段だ。すこしでも足を滑らせれば打ち所が悪ければ死の可能性もあるというほどの石段。相当の勇気がいる。あたりは静寂、人一人いない。僕だけがいる世界。こんなところでこけて石段を転げ落ちたらまず助からない。(これはマジな話)すでにこの石段から空海に試されているような気がした。

石段をゆっくり確実に上る。背中がなぜか宙に浮いているような感覚になる。すでに僕は手を石段について上っている。つまり四つん這いになっているのである。そうでもしなければ上れない。直立すれば間違いなく下に落ちると感じたからだ。 こういうときは常にコンサバな思考が信条の僕。「危険な事はしない。無理に意地を張らず、自然に素直に。」がモットーだ。ようやく石段を上りきり直立し目を前に向ける。すると萱葺の建物がひっそりとたたずんでいる。ここが弘法大師求聞持所だ。すこし息が切れていたが、カバンを置き、カメラも置いて賽銭を入れて手を合わせる。虚空蔵菩薩と弘法大師へ祈りを届ける。届いたかどうかは別として、「とにかく守っておくれ」と懇願した。少しあたりを見渡して息を整える。

すると右手の杉の木に「→捨身ヶ岳」と打ち付けられている。僕はその右手を見た。どこに道があるのか?ケモノ道とはこういうものを言うのか?僕にはただ木が倒れていてなんとか山肌が見えるだけの「単なる山肌の一部」にしか見えない。この先に何があるというのだろう?僕は自然と求聞持所を振り返って心の中で空海にツッコミを入れてしまった。「あんたこんなとこで何やってたん」と。僕にはもう限界だとここの石段を上るときに感じていたが、捨身ヶ岳には行けない。とりあえず本堂に戻ろうと後にする。さきほどの石段は自分の重心を出来るだけ後ろにして下りていった。石段を下り、もう一度振り返って一礼し、本堂に向かった。




本堂についてまず参拝をすませる。そして納経所へ行き、観音のお姿をいただく。そして以前、滝畑の光滝寺に行ったときにその寺院に「第四番奥の院」とあったので、そうなのか?と聞いてみた。するとお寺側は、「以前はそうであったが、今はもう光滝寺は独立してしまったので奥の院ではない」とのこと。では、奥の院の朱印はここでは貰えないか?との問いに「貰えない」とのこと。それならば仕方ない。無関係の寺院の話をこれ以上することはない。寺紋の話を少々して、本堂をでた。



西国三十三所観音を一堂に安置している堂がある。僕はとりあえず手を合わせておいたが、いつか必ず満願すると誓った。本堂の裏手はどうなっているのだろう?と思い、まわってみた。すると鐘楼が見え、2棟の建物が見える。大師堂と不動明王堂だ。山岳寺院の特徴は、やはり山の上にあるというどうしようもない動かしがたい自然にある。平地のように門があって金堂があって講堂が一直線にならぶといったような整然とした配置は出来ないのだ。しかし、それにしても雰囲気が暗い感じがする。この寺に参拝した人たちは本堂の裏にこういった堂があると知っているだろうか?実はこのお堂の奥に墓地があった。薄暗い墓地だ。このお寺の関係者の墓だと思うが、そこまで詮索する必要もないと思い、近づかなかった。というか、近づけなかった。(まぁお墓ってのはこういった場所が一番理想だと思うけど・・・。草葉の陰って言うし・・・。)

本堂の表に戻り、ふと鳥居に目がいった。この上にも何かあるなと・・・。石段を上ると社がひとつある。「槇尾大明神」
つまり槇尾山の鎮守だろう。こちらでは拍手を打って頭を下げた。境内の茶屋の前にあるベンチからの景色もいいが、この大明神社からのぞむ景色もさらに数段高いこともあって良い。僕はここで今日一日の行動や成果をいつもの参拝張に書き込むことにした。春風が汗ばんだ体に気持ちよく吹く。ここでは下にいる人たちの声も遠く聞こえ集中して書ける。携帯の電波はここにいれば入るみたいだ。参拝記を書き終えて、下山しようと身なりを整え槇尾大明神に一礼して下りた。これからは下りなので、楽は楽だが下りは膝にこたえるので、慎重に歩幅を広げすぎずに下りて行きたい。また上りでは見えなかった景色が見えるかもしれないので、また出来るだけ上を見て帰りたいものだ。もう4時を過ぎていたが、まだ参拝に来る人は絶えない。数人が上に上にと息を切らせて上っていく。ある一人の男性が僕に声を掛けてきた。

「あとどのくらいですか?」

僕は申し訳なく笑顔をつくって答えた。

「あと10分くらいですよ」と。

2003.3.31 松一郎 
 
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